砂 上 の 夢

    2.

 村の南端にリクとグレンの住む家はあり、その先の荒野の中に砂原が存在している。広大な砂原はその名の通り、砂だけの土地だったが、そこでしか採取できない特産物が村の財源となっていた。
 ここでしか採れない『石』は、大きな都市で加工され、質の良い家具や複雑な工具の原材料になる。
 村に石狩りの組合は二つあり、都市の工場と契約しているフィッツ達の組合と、荒野を行き来する商人や家具職人と取引をする組合に分かれていた。別段対立することもなく、お互いに自由に石を採取できるのは、豊富な資源の賜物によるが、いくら豊富とはいえ、砂の奥深くに埋まっているそれを見つけるのは容易なことではなく、年季の入った石狩りでも日に三つが限度だった。
 それをリクは、天性の勘だけで探り当てる。
 引退した石狩りの老人は一度、リクの持ち帰った石の質の良さを褒めた。「リクは筋がいい」と。「組合に入って石狩りになればいい」と言ったが、老人はリクが女の子だということを忘れていたようだ。
 石狩りは元来、厳しい肉体労働だ。組合も当初は小娘を石狩りとして認めなかった。が、その実力で誰よりも多く、上質の石を持ち帰り続けた結果、組合でも味方に引き入れた方が得と判断したか、特別に女を入れてやると持ちかけたのだが、リクの方でその申し出を蹴ったのだ。
 砂原は広過ぎる。慣れているつもりでも、目印一つない所で、方位を失ったら最後だ。夕刻になっても砂原から戻らないリクを、いつもフィッツ達が捜索する羽目になり、彼らの心労を考えた組合長は、ついに都市から伝令鳥を一羽購入した。伝令鳥は相手の匂いを覚えており、どんな場所にいても真っ直ぐに向かっていく。また、吹き込んだ声を忠実に再現する能力により、リクを呼び戻すのに最も有効な手段と言えた。ただし、この鳥一羽で、上質の石三十個分の値打ちがあったので、組合長はその損をリクの労働で取り返すつもりでいる。
「でもカナリヤ、オレが遅くまで砂原にいるから、おまえの仕事があるんだぞ? オレが早く切り上げて村に戻るようになったら、おまえ、組合長からエサもらえなくなるぞ」
 伝令鳥は、メッセージ以外の言葉を話さない。いつもリクが一人でカナリヤに話しかけているのだが、解っているのかいないのか、カナリヤはただリクの前をゆっくりと飛んでいるだけだ。
「なあ、オレが刻み石見つけたら、おまえにも分け前やろうか。おまえの好きな所におまえを送ってやるからな。今から考えておけよ」


 刻み石の言い伝えは、いつからか村に存在していた。
 他の石と同じように、この砂原のどこかにある石。他の石とは全く異なった形状で、そして特別な石。
 この石を手に入れられれば、時間を自由に操ることができる。
 かつてこの石を所有したことがある一人の男は、一冊の本にそれを記した後、なぜか石を再び砂原の砂の中に埋め、そして自殺した。もう何百年も昔の話だ。
 そんな途方もない力を持った石を、なぜその男が手放したのか、その理由も村には伝えられている。それを熟知しているからこそ、刻み石のことは誰もが知っていても、手に入れたいと望む者がいないのだ。
 石狩り達の場合は、仕事の最中に偶然それを見つけてしまう可能性があったため、家族達は常に石狩りに言い聞かせる。
「もし見つけてしまっても、絶対に持ち帰ってはいけない。もう一度、深く深く埋めてしまえ。どこに埋めたのか、絶対に誰にも言ってはいけないし、自分でまた掘り返してもいけない。刻み石を見たことなんて、すぐに忘れてしまえ」


「今日もそろそろ時間だな、カナリヤ」
 日が落ちるまであと僅か。リクが待っていたのは、この時だ。
 夕日に照らされた砂の中に、刻み石は現れるという。
 大多数の石狩りは、日中しか砂原にいない。刻み石に出会う確率を少しでも減らすため、作業時間を限定しているのだ。
「どんな石なんだろうな、刻み石は。こいつらと違って、相当ちっちゃいらしいぞ」
 先程から左手に持ったままの石を、リクはカナリヤに近づけた。握り拳大の透明な石は、大きさもさることながら重量も結構なものだった。背負った袋では四つが限度だ。これ以上入れようとすれば、袋の底が破れてしまう。
 一番多く石を持ち帰った時は、両腕に五つ抱えて組合長の所まで行ったのだ。あの日は組合長も大喜びで、いっそ十個くらい入る袋を用意したらどうだ、と冗談を言ったが、そんな物を背負って帰ったら、リクの肩が壊れてしまう。
 石の重さを感じながら、リクは村とは反対の方角へ目を向けた。
 昨日はあの辺り。その前はもっと向こう。リクは毎日違うポイントで夕刻を待った。
「リク。いつまで砂原で遊んでるんだ。伝令を聞いただろう」
 いつからそこにいたのか、村の方角にフィッツが立っていた。リクに近寄り、その手荷物を眺める。
「お、今日もいいのが採れたな。背中にも四つだろ、全部で五個か」
「ああ、ちょうど良かった。これ持って。重かったんだ」
 左手の石を無造作に放りながらも、リクの目は砂原の遠くを見遣ったままだ。
 そんなリクの様子に、フィッツは頭を掻いた。
「あのよお、刻み石なんか探したって無駄だぜ。聞いた話じゃ、小指の先くらいの石だっていうじゃねえか。こんな広いとこで、そんなもん、見つかりっこねえよ」
 刻み石、という言葉にだけ素早く反応し、リクはフィッツを睨み付ける。
「なんで、オレが刻み石を探してるって知ってる?」
 グレンが話すはずはない。それが知れ渡れば、リクはすぐに砂原に出入りすることを禁じられるに違いない。だからグレンはそれを二人の秘密にしてくれているのだ。グレンが大事な妹を売り渡すような真似をするはずはない。
「そりゃわかるさ。毎日毎日、夕方に砂原にいたがる理由なんか一つしかねえからな。せっかく入れてやるって言われた組合にも入らねえんだ、組合に入れば石の引き取りだってもっと良い値段つけてもらえるってのに」
「そうか、みんなも知ってるのか?」
「殆どの連中はな。見つかるわけねえから放っておいてるだけだ。それにおまえの採ってくる石は、ほらこの通り、いい石ばっかりだ。諦めて、組合に入ったらどうだ?」
 組合なんかに入ったら、一番いい時間に砂原から出なければならなくなる。確かに換金率はいいが、グレンと二人で生活していくのに、今のままでも支障はない。
 そもそもグレンは都市の学問所から月々の手当を貰って教士をしているので、リク一人くらいは楽に養える。もう自分も働ける歳だから、とリクは日当の半分以上を生活費にしているが、余裕の出た分をグレンはリクの結婚費用として蓄えていた。
「いやだ。どうしても刻み石が欲しいんだ」
 再三繰り返されたフィッツからの申し入れを簡単に切り捨て、リクはまた砂原の四方へ目を向ける。
「なあ。おまえ、刻み石手に入れてどうする気だ? あれはやばい代物だぞ」
「時間を自由にさせてくれる。オレ、欲しい時間があるんだ」
 どんな時間が欲しいのか、それはグレンにも言ったことがない。これはリク一人の秘密だ。
「まあな、他人の時間は自由にできるらしいな。でもよ、刻み石は、代わりに持ち主の時間を奪うんだぜ?」
「構わない。オレの欲しい物が手に入るんだったら、それくらいくれてやる」
 正直、フィッツは昔からこのリクの相手が苦手だった。そもそもある程度大きくなるまで、このチビの性別を自分と同じだと勘違いしていたことが原因なのだ。この小汚いガキが、実は憧れのスーニと同じく女だと知った時は、開いた口が塞がらなかった。そのスーニは去年隣町の有力者の息子の所へ嫁いでしまったが、こんな田舎の小さな村には珍しい淑女だった。いつもひらひらのドレスを纏って、細い足で淑やかに歩いている姿を、フィッツは物陰からしか見ることができなかった。
 それに比べ、この少年のようなリクは。胸は平らだし、顔は真っ黒だし、女らしさの欠片もない。
 グレンはせっせと金を貯めているようだが、こいつが嫁に行けるとは到底思えない。
 夕日が砂原を染める。
 時刻だ。
「おい、早く帰るぞ。すぐに暗くなる。村がどっちかわからなくなっちまう」
 慌てたフィッツがリクの手を引こうとした時、砂原にあり得るはずのない変化が訪れた。


 二人の目で確認できる範囲内では、砂原全体でそれが起こっているようだった。
「砂が……?」
 ゆっくりと、足下の砂が波打った。
 そのことだけならば、珍しい現象ではない。風の日には、いつも砂は起伏する。だが今は。
「風も吹いてねえのに、なんで砂が……」
「フィッツ、あそこ、光ってる」
 眩しい赤い光を受け止める砂の一角で、何かがそれを反射しているのだ。動く砂の上で揺さ振られ、角度を変えながら自らの居場所を、はっきりと二人に伝えるように。
 フィッツはこの時、それを無視するべきだった。
 リクを担いででも、村へ一直線に走るべきだったのだ。暴れられても、蹴られても、とにかくリクをここから連れ出さなければならなかった。フィッツにはそれが可能だったのだから。
 しかし、フィッツもそれを見たかった。
 最早、刻み石の伝説など、迷信に近かった。存在を確認した者のいない不思議な石。見るだけだ。見るだけなら、危険はない。一目見ればいい。村人が畏怖の念を込めて呼ぶその石を、見る機会に恵まれておきながら無視することなど、フィッツにもできるはずがない。


 駆けだしたリクの後に続いて、フィッツもそれへと向かってしまった。
 毎朝、仕事に向かうフィッツに、両親や祖母が必ず言う言葉。一瞬だけ、それが頭を過ぎった。
『もし見つけても、刻み石にだけは絶対に近づくんじゃない。絶対にだよ』
 だが、その家族の戒めも、今のフィッツには届かない。