砂 上 の 夢

    3.

 後ろからついて来るフィッツに構うことなく、リクはその乱反射へと歩を進める。
 今それは、リクの足下にあった。
「これ、だ……本に書いてあったとおりだ。刻み石。本物の刻み石だ」
 小指の先より更に小さな石。大小はあるが、日頃目にする石と性質は同じように見える。似たような透明の、歪な石。
 そしてそれは一つではなく、十個以上が連なってできていた。
 職人が作った腕飾りの細工にも似ているが、それより遙かに精密だ。石と石がどうやって繋がっているのか、見た目には全くわからないのだから。
 まだ両親が生きていた頃に、近所の石狩りから刻み石の伝説を聞かせてもらった日から、もう十数年。石狩りに混ざって砂原を歩くようになって、二年が過ぎた。長い間望み続けた石が、今リクの前にある。
 迷うことなく手を伸ばす。
 が、この時になって、それまで刻み石を食い入るように見ていたフィッツがリクの腕をがっしりと掴んだ。
「離せよ。早くしないと、また砂に乗って流されてくだろ」
 よりにもよってフィッツがいる時に刻み石を見つけてしまった自分も不運だが、たとえどんなことがあろうとも、これは持ち帰らなければならない。リクの願いを叶えてくれる、唯一の石を。
「馬鹿野郎! こいつに触っちまったら、自分がどうなるか知ってんだろ!」
 言い争いをしている場合ではない。砂はまだ動いているのだ。
「オレ、好きな人がいるんだ!」
 唐突な告白に、フィッツもやはり面食らった。
 だが、力でフィッツに敵わない以上、この腕を振りほどくためには、彼を説得する以外の道はない。
「その人の時間が欲しいんだ!」
「男の一人や二人くらい、自力でなんとかしろ!」
 口ではそう言っても、フィッツは内心、無理かもしれないと思った。
「できないよ! だってオレ、男みたいだし、きっと弟くらいにしか思われてないし。オレがもたもたしてるうちに、あの人、可愛い嫁さんとか貰って幸せになって、子供とか生まれて……だから、そうなる前に、オレだけのものにしたいんだ!」
「そんな勝手な話があるかよ。落ち着け。落ち着いてもう一回考えろ。なんかいい方法があるかもしれねえだろ」
 だめだ。
 フィッツの力が強すぎる。
 リクは必死に手を伸ばしたが、無情にも、流されていく刻み石にはもう届きそうにない。
 折角見つけたのに。
 これさえあれば、あの人の時間を止められるのに。永久に今のままに留めて、リクだけのものにできるというのに。
「どうやっても手に入らない人を好きになったこと、フィッツはないのか? それでもその人が欲しいって思ったこと、フィッツはないのかよ!」


 どんなに努力しても手に入らない人。それでも諦められない人。
 必死にリクの体を抑えつけながら、フィッツの目は流れていく刻み石を見ていた。
 リクの気持ちがわからないはずはない。
 フィッツの脳裏に、一人の女の姿が蘇った。
 いつも、目にするのは横顔。そして後ろ姿。真正面から彼女を見たことなど殆どない。雑踏の中で垣間見る彼女。目だけでそっと追った彼女。
 スーニ。
 フィッツとは釣り合うはずのない彼女を、いつまでも忘れることができなかった。遠くに嫁いでしまった今でも、それは変わらない。
 彼女は今どうしているか、毎日何をしているのか、そればかりを考えてしまう自分が、確かにいた。
 そう、刻み石があったなら。
 もしそれがあったなら、スーニがいなくなる前に、彼女の時間を止めておけただろう。そして、時の止まった、動かぬ人形のような彼女を手元に置いたはずだ。
 刻み石があったならば、自分の望み通りに、どんなことだってしてしまうだろう。
「……フィッツ?」
 もう、フィッツの手はリクを抑えつけてはいなかった。
 リクを説得することも、力ずくで押し留めることも、フィッツにはできそうになかった。
「取れよ。欲しいんだろ、そいつが。おまえの、好きなようにすればいいじゃねえか」
 言いながら、フィッツは半分後悔していた。
 屈んだリクが刻み石を手に取ったのを見た瞬間、フィッツの後悔は完全なものとなった。
 本当にこれで良かったのか、と。
 好きだというだけで、他人の人生を狂わせていいはずがない。そしてそんなことのために、リクの人生が奪われる結果になっていいはずも、やはりなかったのだから。
 刻み石を手にしたがために、死を選ぶしかなかった男の話を、何度聞かされたことか。
 やはり自分が、リクを止めるべきだったのだ。


 フィッツの取った行動が、間違いであったと立証されるのは、それから数時間後だった。